ブログ トドの昼寝

札幌爺のたわごと

スミス先生写真集より:応援団対面式

小樽商科大学ー北海道大学応援団対面式:昭和40年小樽ニュー銀座前。商大側、第51代団長宮城勝(沖縄出身・琉球銀行勤務)。女形は高橋氏、歴代随一の美女。北大団長は藤田正一君(湘南高校、北大副学長)。(渡辺勝弘先輩談)

『土の記』読了

高村薫『土の記』3週間かけ読了。一気にとは行けなかったのだが、まあ彼女のエクリチュールというのはミステリーものでも結構緻密ですっ飛ばせないところがある。この作品(作品としかいまのところ呼び様がないのでは?)は日本語の実験として見ることもでき…

ムーランはどこにある?

粗探しのようで気が引ける気がしないでもないが、けっこう重大なミスにも思えるので記しておこう。海野宏はそのベルエポックから1920年代のヨーロッパに関する浩瀚な研究とそこから紡ぎ出される美意識において最高の存在の一人だが、その『ココ・シャネルの…

Misiaのサロン

ミシア・セール Misia Sert, née Marie Sophie Olga Zénaïde Godebska le 30 mars 1872 à Saint-Pétersbourg et morte à Paris le 15 octobre 1950, est une pianiste, égérie de nombreux peintres, poètes, et musiciens du début du XXe siècle.ルネ・ド…

小樽商大ボート部創部80周年記念茨戸乗艇会

台風が本州を北上する中、西澤さんたちが中心となって企画された商大漕艇部創立80周年記念茨戸OBOG乗艇会/懇親会が開催された。9時半頃艇庫に到着。すでにエイトの「シャチ」のⅢ、Ⅳの二艇が艇庫前に搬出されており、桟橋付近には計16本のブルー一色のブレ…

中小屋ハイキング

「山会」の例会で、学園都市線でいうと「中小屋駅」の北にある山並みに入った。標高はないが懐の深い山が続く。目指すは「夢の四阿」だが、山菜の豊かさに足を止めるうちに先頭グループと後続のグループとの距離が開き、後続組は曲がりどころを間違えかなり…

広島から同窓会ツアーが

さてと、アカシア会59期生(内輪の符牒で申し訳ない)が私の定年退職を狙ったかのように北海道ツアーを組んできた。広島のとある高校なのだが、卒業してからはや48年になろうとしている。ほとんどが1950年生まれなので、一部組織のトップになった者以外はい…

シチリアワイン

北大の吉田徹先生に勧められて、桑園駅側のイーオンにあるKALDIを覗いてみた。店内は札幌駅前のJUPITERと違い、わざと通路をくねらせ迷宮感を醸している。そこのワインコーナーで最初に目に飛び込んできたのが、名前だけは頭にあったシチリアワイン、ロッカ…

深瀬忠一先生を偲ぶ会

北海道をこよなく愛されその理想の発信地として開拓され続けた深瀬忠一先生が亡くなられたのは10月5日だった。そして今日は「偲ぶ会」、旭川の雪景色のニュースを見てから家を出る。北大生協の道路南斜め向かいのクリスチャンセンターが会場だ。2時40…

ボート部納会

夕方6時半からススキノ交差点に面した、「日の出本舗」で商大ボート部納会が行われた。久しぶりに野口君に会う、転職名人の彼は今は薬屋の経理担当で職場の女性の漫才を楽しみながら仕事に励んでいるそうだ。谷津監督の本当に嬉しそうな納めの言葉に続いて…

目黒士門先生ご葬儀&P.ドゥヴィル講演会

前日ようやくファックスが入り、東北大仏文研究室を始めとして、齋藤廣信先生、永原先生等々連絡を入れる。午後からの女子大での講義の準備をして家を出る。夜は札幌アリアンス・フランセーズで仏人作家の講演の通訳だ。昨日の朝一での授業から延々と走り続…

目黒士門先生ご逝去

私が小樽商大に来るきっかけを与えてくださった目黒士門先生がお亡くなりになった。良門さんから電話があり、慌ただしいやりとりの中で分かったことは、転倒されて事故かと思っていたところ脳出血を起こされていてそのまま逝かれたようだ。日曜日の通夜に出…

一夜明けて

昨日の冬将軍第一号の荒天をものともせず敢行した小樽での登山。帰りにつかった温泉のおかげか、足に不思議と疲労はない。6時過ぎに起床。窓から公園を眺めようとカーテンを開けると、まず目に飛び込んできたのは公園越しに見える札幌の西側に広がる山並み…

小樽オコバチ、遠藤山登山

処女雪登山? 以前から参加予定の小樽の丸山登山、昨日来の悪天候で中止かと思いきや、なんと実施となった。慌てて集合場所に向かう。私が最後でバスに乗り込むや出発。17人参加予定中10人参加。あたりを見回すと妙齢の女性一人を除くとほぼ中期高齢者。…

石川啄木に関する難問ついに解決

1939年3月発行の Anthologie des poètes japonais contemporains の原詩探索で最後まで残っていた啄木の Pensées vagues et solitaires, pp.106-107 について、昨日藤女子大図書館から借り出した昭和28年の岩波版全集をめくっていてようやく元になる…

深瀬忠一先生ご逝去

フェースブックでの投稿で本日午前1時過ぎに札幌日仏協会初代理事長の深瀬忠一先生が亡くなられたことを知った。虫の知らせなどは信じないが、午前2時前にトイレに行きたくなった訳でもなく胸苦しくなって目を覚ました。1989年以来協会活動で主観的に…

デュボワ康子さん逝去

昨日、デュボワ康子さんの死去を知った。ご主人のブリュノからは具合悪いと知らされていたが、3月の10日に亡くなられたそうだ。道展会員でその色の塊を配置していく絵の書き方は独特だった。我が家のも油が一点とシルクスクリーンが二点玄関からの短い廊…

冬の土曜テニス終わる

11月以来、原則毎土曜日にやってきたテニス会が今日は中止になったため、私にとっては終わることになった。いよいよ北海道も屋外テニスのシーズンがやってくる。車を手放したので動きが悪くなるがペースを落とさずにやっていこう。

車社会からリタイア

いよいよ自動車を手放すことになった。 最初に査定に来た業者と話ているうちに、5万出すと言うので、えい面倒となって売ってしまった。キャンセルなしで、夏タイヤも一緒にあっという間に持って行った。10年乗った「あまがえる」と呼ばれている新型?プリ…

日記復活を目指して

もう一年半も日記を書いていない。いよいよ「特任」という雇用延長に入るわけだが、これはなによりも「老い」の世界へ入るということだ。明らかに記憶力は鈍ってきている。FBをもっぱら使って情報整理をしている気になっているが、記録性においてはSNSはやは…

高田勇先生ご逝去の報

気賀沢さんより電話、不吉な予感がしたが案の定高田先生ご逝去の知らせだった。23日の夜往かれたとのこと。フランス・ルネサンス詩を研究対象に定めて以来、どれほどの学恩を受けたことか、渡辺一夫宅に書生のような存在として住み込み、泰斗の日常をも知…

ニセコ、トレッキング

早起きして、札幌市教育委員会主催の「自然体験活動会」に参加。パスでニセコへ総勢30名余の大部隊となったが、元気に神仙沼休憩所を出発、神仙沼へ。さらに大谷地へと進むが、9月も下旬というのに紅葉の気配はなく夏山の雰囲気だ。リンドウの花がまだま…

古川日出男を読む

『ベルカ、吠えないのか』、『中国行きのスローボート』と惹かれた順に読了。『ベルカ』はこれまでの犬に対するヒューマニズムを超えようとする斬新なchiennisme?で20世紀を総括する面白さがある。ユマンとシアンの繋がりを描こうとするとどうしても言葉にな…

サッポロピリカコタン

雨模様のなか、定山渓の4キロほど手前にある小金湯温泉と隣り合わせのサッポロピリカコタンを訪れた。ホールではコンサートと舞踊の実演が行われていた。展示室は撮影OK、手に取ってみることもOKで、狭いながらも充実している。ここは写真で、

第五回パリ祭記念ペタンク大会

早起きしてしまったので、早めに電車で発寒中央駅へ。そこから札幌農試公園まで歩いた。8時45分頃に到着したが、すでに準備万端、受付には90名近い出場希望者が集合していた。私も出場することになり、レベール夫妻と組むことになった。開会式の挨拶も…

PMF開催記念コンサート at 札幌芸術の森

掃除洗濯をして、PMF開催記念コンサートを聞きに芸術の森野外コンサートホールへ。招待席は始めてだが、野音の屋根の出っ張りの下で日陰になり吹き渡る風が心地よい。だが、時間が経つにつれだんだと日陰が狭まって、ついには後頭部を強烈な太陽が直射してし…

ゆうべもKitara、今日はジャズ・フェス、PMF歓迎レセプション

ゆうべは諏訪内晶子と札響で海の日記念チャリティーコンサートだった。指揮は円光寺雅彦で、前半が諏訪内さんのサン=サーンス「序奏とロンド・カプリチオーソ」と「ヴァイオリン協奏曲第三番ロ短調」。地中海プルーというかラピスラズリというかもう妖艶と…

ゆうべのオリヴィエ・ラトリは最高だった!

夕べ Kitara の15周年記念オルガンコンサートに行ってきた。演奏者はパリのノートルダム大聖堂正オルガニストにして、キタラの歴代専属オルガニストたちのお師匠様であるオリヴィエ・ラトリ。やはり格が違うというか、これぞヴィルチュオーゾの演奏だった。…

佐野眞一(フロントランナー)

今朝、朝日新聞の「Be」で佐野眞一が取り上げられていた。少し先輩のノンフィクション・ライターで、その取材力と文体には敬服している。インタビューの中で彼はこんなことを言っている: ー 東電OLは痛ましいまでに「身体性」の塊なんです。売春のために…

アメニティー考

昭和40年代初め、すでに都市のアメニティーについては東京がヨーロッパを凌駕していたようだ。しかし考えてみれば、東京も大阪も日本の大都市はきれいさっぱり空襲で焼け野原、応急の回復もバラックやせいぜい文化住宅風だった。そこにアメリカが続けるア…