ブログ トドの昼寝

札幌爺のたわごと

尾籠な話 その5 トイレのトンカチ

尾籠な話 その5 トイレのトンカチ

1960年代後半、ベ平連小田実と中間派小説家と呼ばれた五木寛之が行動派の作家として若者をリードしていたが、やはり「見る前に跳べ」のキャッチフレーズが示すとおり、バックパッカーの先達のような二人はそれぞれアメリカと東欧・北欧へとまさに飛び出して行き精力的にルポルタージュ風のアジテートを送り続けた。

だいたい金が無くなると皿洗いのバイトと相場が決まっていた感があった。どこだったが思い出せないのだが、五木寛之は、皿洗いは誰もができるのであっという間に取られてしまうけれども寒い北欧の冬で確実に稼げる仕事があると語っていた。トイレの仕事である。なぜトイレなのか訝しく思われる方が多いだろう。それを実感したのが、小樽の天狗山での出来事であった。

昭和58年に小樽に赴任したのだが、当時の小樽は斜陽の町と呼ばれながらもまだまだ17万程度の人口があり今とは隔世の感があった。二階建ての棟割り長屋の官舎に入った。トイレは水洗になっていたが、普通の便器ではなかった。日本式の便器で水の流れ落ちるところがそのまま深い下水道に繋がっていた。本州のような便器だと、冬になると途中の水溜まりの水が凍結してえらいことになるからだ。家の傍には鳥小屋にしては真っ黒な小さな物置があった。隣の人にたずねると「石炭小屋ですよ。薪炭費が出ると町の石炭屋に満杯にしてもらっておくんですよ」とのことだった。もちろんそれは後に暖房手当と改名されることになるし、どこもすでに石油ストーブになっていた。

そんな小樽で最初の友人と呼べる御仁が「今度天狗山の青年の家に遊びに来いよ」と誘ってくれた。よくこんな坂を上がるもんだと思われる急坂をバスが登ってたどり着いたところに天狗山スキー場入口があった。北海道の冬は日の暮れるのが早く不安になってきた。そこに見るからにスキーの猛者と見える女性が通りかかったのでユースホステルはどこかと尋ねた。「うちなんで、ついてきてください」と言われて雪の壁に挟まれた雪道を辿っていった。玄関を入ると「天狗山地獄のスキー特訓一週間!」の墨痕鮮やかな張り紙が目に飛び込んできた。「Mさん、お客さん」と案内してくれたお嬢さんが奥に声をかけると、「お〜、そのまま広間に来いよ!」と返事があって、スリッパに履き替えて廊下を進んだ。広間には到着したばかりの関西からの若者の一団が勢揃いして大おばさんにあれこれ質問しているところだった。関西からフェリーでやってきた若者たちがこれからのスキー特訓に夢を膨らましている中、グランマの風格たっぷりな天狗山ユースの指導者が諸注意を訓示していた。飲酒は公には禁じられているので、友人が月極で借りている個室に移って雑談していると、突然、この世の終わりかと思わせる女性の絶叫が聞こえた。「あっ、やったな」と友人が言った。なんのことか、と訝しんでいると、「トイレの大の方を覗くと分かるべや」とにべもない。何事が起きたのか知りたくなり広間に向かうと、グランマが「男子はあっちに行ってなさい」と厳命を下す。友人のセリフが気になったのでトイレに向かった。男子の個室に入ると、不思議なものが目に映った。片方が尖ったハンマーがぶら下がっていた。なんのためかと、見回しても訳が分からない。ふと便器を覗くと、きらりと何かが光った。目を凝らすと、そこには見事な逆氷柱が育っていた。そう、ハンマーはこの逆氷柱を破壊し間違っても氷柱が微妙な部分を突くことのないようにするために置かれていたのだ。
 思いもよらぬ方向から強烈な一撃を食らった女性は大丈夫だろうかと心配したが、そこはグランマの手慣れた対処で何事もなかったかのように静けさが戻っていた。友人の部屋に戻ると、ここまでは当分下水道は来ないから、本州からの客は金槌の意味が分からんまま便器を跨いで同じような体験をするだろうな、と彼は言った。そしてやおら窓を開けると屋根から垂れた氷柱をてで折り取るとウィスキーグラスに入れて私によこした。上からのは綺麗そのものだから心配するなとのことで、乾杯ししばらく歓談して家に帰った。
 翌日、天狗山スキー場にスキーを担いで行くと、関西娘たちは元気に指導員に率いられて転びまろびつしながら滑っていた。そうか、北欧の冬必ずありつける仕事というのは大きなレストランのトイレの逆氷柱割りの仕事だったのだと思い至ったのであった。だが、確実に見つかるというのはどういうことなのかという疑問は残った。で思いだしたのが、逆氷柱を尖ったハンマーで叩いたときの現象である。氷をアイスピックで砕いた経験のあるひとなら分かるだろう、細かい氷が飛び散るのだ。トイレでは飛び散るのは氷だけではない、顔に着いた場合、体温で解けてたちまちなんとはなく糞便の匂いが軽く漂い始めるのだ。北欧のレストランのトイレだといくら分厚いゴムの上っ張りを着ていいても、顔にかかるものは防げない。顔を洗っても洗っても洗いきれない部分に匂いはこびりついていくのだ。なるほど、シャワーも浴びれない人間にとってこれほど嫌な仕事はないだろう。今ではこのバイトは存在しなくなっていることは言うまでもないが、プーチン侵略戦争の犠牲になったウクライナでは公共インフラの破壊が激しく、冬の寒さを耐え忍ぶウクライナの人々に同情しつつも、思い出すのはこのトイレのトンカチのことであった。