ブログ トドの昼寝

札幌爺のたわごと

尾籠な話その3ートルコ式トイレ

 もう四十年以上も前のパリでの話。大先生の一人から頼まれパリ在住の老哲学者のご機嫌伺いに行ったときのこと。お住まいが当時でもかなり治安が悪化していた18区で、電話で「昼間でも決して裏路地に入るな、まっすぐアパルトマンまで来なさい」との忠告を受けた。地下鉄の出口を出たときに急に催したので我慢できず大通りに面したカフェに入ってトイレを借りた。薄汚れた個室の戸を開けると、ない、無いのだ便器が!見ると正方形になったコンクリートの受け皿の中央に靴の形の台がある。ここに靴を乗せて用をたせということかと納得したが水槽も見えなければトイレットペーパーも無い、あるのは天井から下がった頑丈そうな紐だけである。さいわいティッシュを持っていたのでしゃがんで用を足した。台の間にこんもりしたものにティッシュを掛け、さてどうしたものかとじっと紐を見つめた。これを引けば水が流れて受け皿の右隅にある排水口とおぼしきところへ運ぶのだろうと考えた。
 紐を引くと、下の方からまるで火山の噴火の直前のような鳴動がしてきたので、これはこのまま居るとまずい、と思いドアを開け外へ出た。しばらく故障しかかった洗濯機が攪拌しているような騒音がしたが、やがて静かになった。ドアを開けるときれいにはなっているのだが、壁のかなりの部分まで水が飛び跳ねた跡があった。よかった、と胸を撫で下ろして目的地へと向かった。
 老先生のお宅についてひとしきり挨拶やらを交わしたあとで、件のトイレの話をしたところ、「それがトルコ式トイレだよ」とおっしゃられた。「この界隈では当たり前だね。トイレ係は必要ないし、清掃はときどき見て改めて水を流せばいいだけだからね」と仰りながら薄笑いを浮かべられた。皆さん向こうの映画で男女がトイレの個室でことに及ぶシーンをなんどかご覧になったことがおありだろう。そう、便器を備えた個室はホテル代わりに使われるのだ。風紀の乱れは甚だしいし、諍いが起きると血の雨も降りかねない。水を貯めるタンクが拳銃を隠すのに使われることはギャング映画で散々見てきた。実に、トルコ式トイレとは設置した店にとっては極めて合理的なものなのだ。
 ちなみに当時のカフェの壁にかけてあった営業許可証には「通行人の水とトイレの要求に対しては無償でこれを提供しなくてはならない」と書かれてあった。このときばかりは私もこの条項をありがたく利用させてもらった。