ブログ トドの昼寝

札幌爺のたわごと

尾籠な話その4− パリの「水!」

 私が尾籠な話にこだわるのは嗅覚と記憶の関係があまり重要視されていないことに危機を感じるからである。とりわけ日本では「無臭」が幅を効かせてアメニティーの基準であるかのように振る舞っている。だが無臭は危険である、経験のない匂いに遭遇したときに危機感や警戒感を持てるかどうか、記憶がなければ一瞬の判断を謝りかねない。無臭=快適がアメニティーを支配するならば、その最先端をいく大都会は極端な二局構造を内包し増大する破局のテンションを隠し続けなければならない。嗅覚が無意識的記憶と深く結びついていることは広く認知されるようになったが、われわれの存在自体を深いところで支えていることは間違いないだろう。隠して忘れるという脳の利己主義は無意識の大海を無限に深く大きくしていくのだろうか。

 さて、現在のパリの景観は十九世紀半ばに始まったセーヌ県知事オスマンの都市大改造に負うところが多い。唯一都市創成期から残っている道はサン・ジャック通りで、ブラタモリタモリが傾斜を探した界隈もパリ左岸のサン・ジャック通りを囲んだところであった。そこで紹介されていたのが「水!」という叫び声であった。その狭い通りは真ん中が窪んで下方へすなわちセーヌ川に向かって進んでいるが、この窪みは雨ばかりではなく両側の家の上層階から撒かれる「水」も集まり流れていくのである。

 どの映画だったか、印象に残ったシーンに馬車の御者がそれは深いフードの防水コートにすっぽりと身を包んで石畳の道を走っていくのがある。後にパリの歴史本などを漁っていると、この深いフードには別の意味があることが分かった。まさに「水!」が関わる問題であった。「馬車が欲しい!」というまさにパリのブルジョワたちの切実な叫びもここから明らかになる。アーケードのある大通りはそんなにない、少し外れれば両側から4、5階建ての家屋が迫ってきて時間にかまうことなく上から「水」が降ってくるのである。もちろん飲み水などではない、下水道の整備が進んでいない地区では瓶に水を張っておいて小用はもちろん大きいものもそこにしておき、だいたいは朝方に、窓から通りへ向け放下するのである。これを頭から被った日は厄日どころの騒ぎではない。ブラタモリではなぜ一階部分が引っ込んでいるかの理由の説明に逃げ場所として使うためであるとしていたが、まさにその通り。フランス語で車を指す言葉にヴォワチュールとオートと二つあることはご存じだろう。ヴォワチュールの方は有蓋四輪立て馬車からきているのだが、まさに「馬車が欲しい!」という切実な願いの因もここにある。屋根付きの馬車であれば堂々と降る「水」も気にすることなくパリの街を走り回ることができるからだ。御者はこの特権から排除される、下僕だからである。深いフードのコートの意味もここで明らかになるだろう。先日のイングランド即位式を見ていてふと思ったのは、「お忍びで王族が外出するときは馬車それとも歩き?」という疑問であった。百年早く産業革命に入っていた最先進国イギリスでは都市の環境整備もトップを走っていたようで、「歩き」によるお忍びも楽にできたことだろう。フランスにとって首都パリの都市整備はまさに国家の威信をかけた喫緊の課題だったのだ。ついでに言っておくと太陽王ルイ十四世もパリの宮殿が大嫌いであり、それがヴェルサイユ宮造営の理由のひとつであることはよく知られている。パリは町自体が臭かったのである。

 今ではサン・ジャック通りと並行してパリの南北を貫くサン・ミシェル大通りもパリ大改造計画前まではパッとしない通りだった。サン・ジェルマン大通りも当然未整備であった。なんと言っても私にとってパリの通りといえばサン・ジャック通りである。