ブログ トドの昼寝

札幌爺のたわごと

ル・マン旧市街そして旅の終わり

フランス滞在最後の朝、フライトの時刻を考えながら行程を決める。まずは旧市街の見物だ。私にとってはようやく来たとの思いが深い。花田圭介先生への追悼論文集で取り上げたジャック=ペルティエ・デュ・マンの街であり、デュ・ベレー兄弟の活躍でプレイアッド派が結成されたのもこの街であると言っても過言ではない。



歴史地区としての整備が進み、プラックが掲げられている建造物がある。たとえば、

そう、プレイアッド派の一人として宗教詩で vers mesurés を試みた詩人のニコラ・ドゥニゾが生まれ育った屋敷ではないか。建物を刳り抜いたような人ひとりとおるのがやっとというようなパッサージュや入り組んだ迷路のような裏路地などを歩いていると、中世そしてルネサンスの時代にタイム・スリップしたような気になる。ジョアシャン・デュ・ベレーとロンサールがマニフェストの草稿について議論しながら歩いていても決して不思議ではない雰囲気だ。サン=ジュリアン大聖堂も早朝で人気がなく朝日を浴びた鮮やかなステンドグラスを堪能した。また今度ゆっくりとと誓いつつ、一路パリへと出発。ボース平野を抜けるときシャルル・ペギーの詩が実感をもって身体を揺するように思い出された。
 パリが近付くに従い車の量がやはり加速度的に増えてくる。パリの他の都市からの隔絶ぶりを確認するように、外周高速を通って空港へ。心地よい疲れとともに機上の人となる。