ブログ トドの昼寝

札幌爺のたわごと

佐野眞一(フロントランナー)

今朝、朝日新聞の「Be」で佐野眞一が取り上げられていた。少し先輩のノンフィクション・ライターで、その取材力と文体には敬服している。インタビューの中で彼はこんなことを言っている:
ー 東電OLは痛ましいまでに「身体性」の塊なんです。売春のために円山町の路上に立ち、足をくじいたときは松葉杖をついて客を引いた。(中略)
 しかし木嶋佳苗にはそういった身体性がみじんも感じられなかった。僕はこれを、この15年で日本の社会が急激に劣化してしまったことの反映とみています
これは、網野善彦が、室町時代で起きた日本人の心性の大変化についで現在根本的な変化が起きているという認識と繋がるものだろう。「劣化」の後になにが待っているのか、漠たる不安の広がりの背後にはこの不確実性となにか「壊れてゆく」という予感があるからだろうか。
 佐野眞一がノンフィクションに賭ける根拠に、広津和郎がある。
私も遠い高校生の木造の図書館で彼の著作に読みふけったことを思いだした。佐野の言う通り、広津の作品は「無味乾燥」だが、「動詞と名詞だけで書かれる文芸」としてのノンフィクションは「時代が変わっても、けっして腐らない」。昔読みふけっていたときそこに現れていたのは「事象」そのものだったのだと思い当たった。