マウリポリに対するプーチンの常軌を逸した破壊命令はなぜなのか。当地を担当するアゾフ大隊こそはクリミア半島併合時、東部ドンバスとの回廊の要衝として奪取を画策したプーチンの野望を阻止した屈強の兵団だったようだ。ひょっとしてプーチンは前回の屈辱の挽回も目論んでウクライナ侵攻を企てたのではないか。マクロンの申し出も拒否したことからも、マウリポリを回復不能までに破壊しようとしていることが見て取れる。しかし、これってギャングの報復では?日本でも「倍返し」なんてのがドラマで流行ったが、これほどの仕返しを一国の大統領がやるとは。職を投げて逃げた日本の元総理が臆面もなく指導者然として発言を続けるのと同じで、世も末だ。
戦争の子供たち
ウクライナにロシア軍が侵攻してからひと月が経った。悲惨としかいいようのない市民たちの様子を見るにつけても、アズナブールが歌い、私たちも口ずさんだ『戦争の子供たち』が口の端にのぼる。
LES ENFANTS DE LA GUERRE 戦争の子供たち
Les enfants de la guerre 戦争の子供たちは
Ne sont pas des enfants 子供ではない
Ils ont l'âge de pierre 瓦礫と鉄と血の
du fer et du sang 時代を生きるから
Sur les larmes de mères 目をあけたとき見えたのは
Ils ont ouvert les yeux 母の涙ばかり
Par de jours sans mystère 不思議も起きない日々
Et sur un monde en feu 炎の世界
Les enfants de la guerre 戦争の子供たちは
Ne sont pas des enfants 子供ではない
Ils ont connu la terre 彼らが知ったのは
A feu et à sang 火と血の世界
Ils ont eu des chimères 悪夢の中で
Pour aiguiser leurs dents 歯ぎしりするだけ
Et pris des cimetières そして墓場が
Pour des jardins d'enfants 遊び場だった
Ces enfants de l'orage 嵐と不安な日々
Et des jours incertains この子達の顔は
Qui avaient le visage 飢えに頬がこけ
Creusé par la faim 育つ前に老い
Ont vieilli avant l'âge なんの救いもなく
Et grandi sans secours 大きくなった
Sans toucher l'héritage 愛が伝えるべき
Que doit léguer l'amour 遺産にふれることもなく
Les enfants de la guerre 戦争の子供たちは
Ne sont pas des enfants 子供ではない
Ils ont vu la colère 彼らは見た怒りが
Étouffer leurs chants 彼らの歌を潰すのを
Ont appris à se taire そして知ったただ黙って
Et à serrer les poings こぶしを握り締めることを
Quand les voix mensongères 噓つきの声が
Leur dictaient leur destin 自分たちの運命を語るとき
Les enfants de la guerre 戦争の子供たちは
Ne sont pas des enfants 子供ではない
Avec leur mine fière でも誇り高い顔つきで
Et leurs yeux trop grands 大きすぎる目で
Ils ont vu la misère 自分たちの飛躍を
Recouvrir leurs élans 悲惨が覆いつくすのを
Et des mains étrangères 見知らぬ手が彼らの春を
Égorger leurs printemps 絞め殺すのを見た
Ces enfants sans enfance 子供のときも青春も
Sans jeunesse et sans joie 喜びも知らないこの子達は
Qui tremblaient sans défense 身を守るすべさえなく
De peine et de froid 痛みと寒さに震えながら
Qui défiaient la souffrance 苦悩に立ち向かい
Et taisaient leurs émois 胸の内を押し隠した
Mais vivaient d'espérance だが希望に生きた
Sont comme toi et moi 君と僕のように
Des amants de misère 悲惨な時代の恋人たち
De malheureux amants 不幸な恋人たち
Aux amours singuliers その愛は奇妙で
Aux rêves changeants 夢もうつろいやすい
Qui cherchent la lumière 光を求めるが
Mais la carignent pourtant 恐れもする
Car なぜなら
Les amants de la guerre 戦争の恋人たちは
Sont restés des enfants 子供のままなのだから
『暁の宇品』大佛次郎賞受賞!
堀川惠子の『暁の宇品』が大佛次郎賞に決まった。「暁の」でピンとくる人はそう多くないはずだ。私がこの言葉を耳にしたのは札幌である。ベーコン研究で著名だった花田圭介先生とのサロン・デ・フローラ(無名哲学者俱楽部)でのよもやま話であったと記憶する。「君も広島生まれなら宇品は知ってるだろう。私はそこの暁部隊にいてね、原爆に遭ったんだよ。」暁部隊が陸軍の海上輸送部隊で海軍の呉と並び立っていた(はずだった)んだとも聞かされたが、戦争末期瀬戸内海は機雷の海で、大発やボロ船で朝鮮半島との間を行き来したのだそうだ。運良く生き延びながらも8月6日を比治山下の兵舎で迎えた。先日亡くなられた坪井直さんが写真にうつった御幸橋とはそう離れてはいない。私が高校三年間市電で毎日のように渡った橋である。さらに堀川さんは丸山眞男が暁部隊にいて海外情報の収集に携わっていたことを改めて解明してくれている。広島の原爆投下に関する必読書でもある。私が直接、間接に大きな影響を受けた人たちが広島に足跡を残していたことに改めて感慨を禁じえない。
追記:花田圭介先生の原爆被爆体験は下記の本に収録されている、
安田常雄/天野正子編『戦後体験の発掘ー15人が語る占領下の青春』、1991年、東京、三省堂
慧眼!!
全巻読破を目指していて、やや息切れしてしまった講談社版五木寛之小説全集だが、ようやくゴールが見えてきた。後半は、断筆を経て、ある意味同じ系列の再開、再構築といった感を抱くのだが、陰影の深さが増して小説世界の広がりが増しているとともに、たおやかさが出てきているのがいい。
さて第三十三巻は『燃える秋』と『風花のひと』で京都と金沢という古都シリーズだが後者で見つけた、懐かしい光景と慧眼に恐れ入る発言を引用しておこう。
p.160
「雄ちゃん、漫画本なんか読んでるんやったら、電話ぐらい出てくれてもいいやろに」
「ぼくはいま忙しいの」
大学生の雄二は、茶の間に寝転んで<少年マガジン>を読みふけっていた。
昭和五十四年「小説現代」の一月号から五月号まで連載されたものだが、私はようやく職を得て小樽に前年十月に来て最初の冬であり、その寒さと雪のすさまじさに衝撃を受けていた。この五木の連載を読みながら、同時に大型の石油ストーブのそばでマンガ雑誌を「読みふけっていた」ことを思いだした。
次は、
p.221
「世界経済の基礎は、奴隷の売買からはじまっています。その事実は否定できません。そして現在の国際経済は武器の売買が土台となっているのです。さらに経済の世界政治支配が進んでくれば、金や資本そのものが武器や兵器になるのです。アラブ諸国がオイルを兵器がわりに欧米に戦争をしかけたのと同じように」
さいとう・たかおの「ゴルゴ13」を彷彿とさせるセリフだが、後半部は今の金融資本のグルーバリゼーションを言い当てて妙である。バブルを起こせるところであっという間に最大化させ、次の獲物を狙って動き回るのだが、バブルの後始末は当該国民・国家におっかぶせて知らん顔。かくして格差は開き分断がいたるところに生じていく。
夏・秋のフランス語句会
俳句というと季語を立てなければなりません。俳諧となると「諧謔」の語にも見られるように自由度が大きくなります。かつて土屋文明がパリを訪れハイカイスト達と交流を持った際、通訳にあたった松尾邦之助との間で季語をめぐって論争が起きました。邦之助は概略、フランス人に理解できない「季語」を後生大事にしていては、日本の短詩形の精神は世界に通じなくなるから引っ込めようと主張しました。会員のMotti から次のような提案がありましたので、多少ジジ臭いかとは思いますが、本会の会(諧)是として採用してはいかがと提案する次第です。
俳諧自由・徘徊自由
「俳諧」とは、もともと「滑稽・可笑し味・戯れ」を意味し、連句・発句・俳文などの俳諧味を持つ詩文の総称である。正岡子規は発句を「俳句」と名付け、有季定型を原則としながらも、或る句はシリアスに、或る句は俳諧味を持たせ、自由闊達・融通無碍に詠った。然るに昨今は、「時事」や「孫」をお題にしただけで馬鹿にし、新たな語彙・表現を活用すると「誰それの二番煎じ」と嘲罵するなど、視野狭窄・強直固縮に陥っている。あらゆる民族で詩を詠う文化があり、近年では最も短い詩として俳句が注目され、Haiku(Haïku)・ハイクとして盛んになって来ている。古典落語でも枕に旬の話題を盛り込むのが通例である。囲碁・将棋にもAI(人工知能)が取り入れられている御時世であるからには、アンテナを広げ旬(時事)の話題を受け止め、徘徊しながらも、脳トレのため俳句・川柳・短歌などの短詩に詠み込み楽しむ、これら一連のことを「Ji-Ji Haïkaï」と名付けたい。
では10月2日の投稿句から選抜して、あいうえお順に(だいたいです)紹介していきましょう。
1)雨ながら中秋祝う" ペーパームーン "
Malgré la pluie, / on fête le mi-automne / avec l’air de Paper Moon.
2)烏賊飯は非常食なり野分だつ
Une tempête d’automne / Des calmars farcis de riz, / vivres de réserve.
3)空蝉や運転免許返納す
Une coquille de cigale-J’ai rendu mon permis de conduire.
4)運動会小さなマスク行進す
La fête sportive / Tous les écoliers marchent / Avec un petit masque.
(La fête sportive de l’école, / les petits masques marchent.)
5)霧晴れて遠きビル群レゴのごと
La brume s'est dissipée / Une rangée d'immeubles lointaine / paraît une ville de "LEGO ".
6)コスモスと目礼交わす今朝もまた
Ce matin aussi, / j’échange un salut de regard / avec des cosmos.
7)秋刀魚焼く 失恋話の 佳境かな
Quelqu’un grille des sammas, / on est à l’apogée des hisotoires / d’amour déçu.
8)倍返し歌舞伎役者の顔相撲
Rendez-y double ! / Voilà le sumô de face à face des deux vedettes / au théâtre de Kabuki.
9)薔薇色の人生今や枯葉色
La vie était en rose. / Elle est maintenant / en feuilles mortes.
Un whisky chaud. / Il ne faut pas voler / la part d’ange.
11)ボールトス色なき風に乱れけり
Une balle passée, / le vent d’automne l’a troublée / invisiblement.
12)毬栗や犬の歩けぬ散歩道
Beaucoup de bogues / empêchent les chiens / de se promener.
偶然の一致とは思えない、、、
外出自粛でテレビを見る時間が増えているが、8月30日のNHKBSプレミアムの番組で面白い符合(もちろん個人的にだが)を見つけたので、書きとめておきたい。午後1時からのBS映画劇場の『クリムゾン・タイド』と午後5時半からの『映像の世紀プレミアム選4―英雄たちの栄光と悲劇』中のキューバ危機のケネディー大統領である。
符合その1)老練だが歴戦の勇士の軍人と勇気ある若者との衝突
前者では原子力潜水艦(ジーン・ハックマン)と副官(デンゼル・ワシントン)、後者ではカーティス・ルメイとケネディー大統領である。いずれも核攻撃をめぐる葛藤が描かれている。
符合その2)若者の理性的判断が核戦争を止める。
時代的にはクリムゾン・タイドのほうが新しく、ソ連崩壊で起きた反乱軍による核攻撃の危険性がドラマ展開のきっかけとなっている。この時期まで、潜水艦発射のICBMは手続きは厳重だが艦長がトリガーを引けるようになっていた。無線の故障で原潜と司令部との交信が不可能になるというプロットはいただけないが、二人の名優の演技力でミサイル発射をめぐる確執は緊迫の度合いをいや増しにしていく。もちろんほろ苦いハッピーエンドにはなるのだが、最終シーンはハワイのパールハーバーだ。
「皆殺しの」ルメイは太平洋戦争末期日本を焦土と化した無差別焼夷弾爆撃の立案と実行を命じた空軍軍人であるが、マッカーサーに対抗意識を燃やしたことでも有名である。彼は年齢からしてマッカーサー退役後も空軍を握り、キューバ危機ではソ連に対する核戦略空爆を準備して若い大統領に迫る「大統領、あなたは絶体絶命ですよ」そしてケネディーが返した言葉が「空軍大将、あなたも絶体絶命ですよ」だった。大統領権限が最高のものであることを知らしめ、フルシチョフとのぎりぎりの交渉で譲歩を勝ち取ることになった。
この二つの番組が並ぶことになった背後に、NHKの番組編成担当の仕掛けがあったのかどうかは分からないが、面白い符合として記しておこう。