ブログ トドの昼寝

札幌爺のたわごと

尾籠な話ーその2

 これも大昔の話。家から小学校までがほぼ見通せた。それほど広島の南観音新町には何もなかった。実は干拓地の南端には三菱重工の巨大工場群があってその北側には社宅が拡がっていた。その社宅街と小学校の間に畑が拡がっていたのだ。学校はご承知のとおりベビーブーマーで溢れかえっていて、新入生や二年生にはとんでもない巨人国に紛れ込んだホビットの気分だった。今思えば不思議なのだが、田んぼが学校から南を向いて右側に少しだけで本当にほとんどが畑だった。

 今回の話はこの畑にあった肥溜め(野壺)だ。夏休み前の下校時、ふと見上げるとギンヤンマが遊弋しているではないか。昆虫少年候補生だった二人は夢中になって追いかけはじめた。もちろん捕まえることはできない。ただ、うっかりして畑に入り込んでしまったのが運の尽き。肥桶を天秤棒で担いで柄杓で畝の間にまいていたお百姓さんに見つかってしまった。桶を置いて柄杓を振り回しながら血相を変えてこちらに走ってきた。社宅まで逃げ切ればと必死で二人は走った。それほど畑の中ではなかったが、まっすぐ畝の中を南に走った先に、こんもりとお好み焼きのような膨らみ方をした薄茶色の塊が目に入った。先を走っていた僕はその塊の真ん中辺りを踏んで畑を出た。ところが「うわーっ!」という声が後ろでしたので振り返ると、友達が塊の縁で溺れかかっていた。追いかけてきたお百姓さんもこれは大変と思ったのか、持っていた柄杓を投げ捨て、両手を伸ばして友人を抱きかかえて引き上げようとしていた。僕も見捨てて逃げるわけにもいかず手伝った。溺れかかった友人は悲惨な状態なのはもちろん、お百姓さんと僕も両手から胸の辺りにかけてべったりと十分発酵した糞便まみれになってしまった。「どうすりゃええかいの」とお百姓さん。「このまま家に帰ったらしばかれる」、「いやばっちいけ〜しばいたりはせんじゃろう」、「まああそこの小川でとりあえずフルチンになって着とるもんを洗うんじゃの。」銀ヤンマに見とれてつい畑に入ったと知ったお百姓さんは急に優しい顔になって、「あそこにお宮があるじゃろ、あそこの池は水がしっかりあるけえ、適当に洗うたらそっちで濯ぐんで」と言うと仕事に戻って行った。

 友人のランドセルの中身がどうなったのか心配しながら、お宮の池で服と運動靴を濯い、ランドセルは草をまとめて水に濡らしたものでゴシゴシと拭ってから家に帰った。その後の騒ぎはご想像にお任せする。「学校で言われんように」という二人の願いが空しかったことは言うまでもない。鼻をつまみながら「野壺落ち!」としばらく囃し立てられるのを我慢しなくてはならなかった。

 銀ヤンマ 追いてはまりし 野壺かな