ブログ トドの昼寝

札幌爺のたわごと

「討匪行」考(続)

森繁久弥とお登紀さん

加藤登紀子のデビューはシャンソンであったことには間違いはない。だが、日本のシャンソン愛好家たちはある意味自意識が高くなる傾向があった。赤塚不二夫の『おそ松くん』で「おフランスざーます」のセリフを吐くイヤミのキャラクターにそれが象徴されている。もう一段上の普遍性を備えなければと、彼女が見つけた水脈が「叙情」の日本的伝統であり、それを体現していたのが森繁久弥だったのではないだろうか。求めて満洲に赴き敗戦をそこでソ連軍侵攻の内に迎えた森繁の「討匪行」は、「日本人の叙情性」の核心に触れる歌であったように今聞いても思う。1970年11月リリースのアルバム『日本哀歌集ー知床旅情ー』には当然のごとく「討匪行」は入った。だがまだまだ70年である。69年の東大入試は中止となり、68年の秋の東大での全共闘反日共系全学連総決起集会には彼女は顔を出している。「軍歌」を歌うとは、、、という原則論的難詰が起きても当然であろう。以後再版では採用されなくなる。
そしてニューレフトが実践において激しく退潮しいくなか、中島みゆきが、シャンソンエスプリも内包しつつ、日本語の詩的革新者ともいえる「歌姫」として登場してきた。そのときお登紀さんはなにを感じただろうか。天沢退二郎「みゆき」萌えぶりはいまでも微笑ましく思い出される一方で、お登紀子さんの「討匪行」をなんども繰り返して聞く団塊世代は今なお多いような気がする。ただし、どちらも絶滅を待ちながらではあるが。森繁久弥の歌っているのを載せておこう。

https://youtu.be/GlYK7MG_EZU