ブログ トドの昼寝

札幌爺のたわごと

桐野夏生の震災表現 その3

『バラカ』集英社、2016年2月発行

pp.246-247 「大震災」、水獄

「俺、夕方までここに居させてもらうかもしれない。光ちゃん、見ててやろうか」

 一瞬、迷った。テレビ局にバラカを連れて行くのは無理そうではあった。予想通り、未曾有の被害が出ている。朝陽の下に晒されたのは、津波が去った後の、大量のガレキと遺体だった。おそらく、友軍としてもきつい一日になりそうだった。しかし、離れたくはない。

「大丈夫、連れて行くわ」

息を詰めて優子を見ていたバラカがほっとした顔をした。この子は幼いのにわかっているのだろうか。不思議に思った時、携帯電話が鳴った、佐竹からだ。

「おはようございます。田島さん、大変です」

 声が切迫しているので、何ごとかと身構える。奥の寝室に入って、ドアを閉めた。

「どうしたの」

福島第一原発が爆発しました」佐竹が早口になった。「政府は発表していませんが、昨夜一号機が爆発。その影響で今朝、第二、第三、第四と次々に爆発しました。どうやら政府ははっきり言いませんが、チェルノブイリ級以上らしいんです。昨日の地震で外部電源を喪失したところに津波が来て、全部の電源が切れたらしいんです。もう手が付けられないんですよ」

「えっ?よくわからない」

 知識のない優子は混乱したまま、問い返した。

「はっきり言いますとね、今は放射能がばんばん出ていて、半径八十キロ圏内は全員避難です」

「ちょっと待って、東京は?」

「二百三十キロあります」佐竹は苛立ったように怒鳴った。「でも、風がこっちを向いていますから、放射能が降り注ぐと言われています。米軍も撤退するようです。うちの局もいずれ全員退避になるでしょう」

「じゃ、行かなくていいのね?」

「はい、あたしもこれから家に帰ってすぐに西に逃げます」

「西ってどこに行くの」

「わかりません」佐竹は泣き笑いのような声を出す。「主人と相談します」

「ああ、そんなSF映画みたいなことが起きるなんて」

 優子はそう言ったきり、絶句した。