ブログ トドの昼寝

札幌爺のたわごと

この期に及んで安倍首相の支持率が上がっているという。これはもう「毒と分かっていても」という依存症のレベルではないか。民主党政権の末期のあがきを嘲笑うかのようにトランプに対し「日本はアメリカへ絶対的に隷従する」と誓い、その代わりに「アベノミクス」という国内やりたい放題を認可してもらった。その後はストレスを払うかのように国内に向けては自らへの隷従を周囲に強い続けた。裸の王様なのだが、だれも隷従から脱却することを望まない、というのも隷従から降りたとたん待っているのは底無し沼と分かっているからなのだ。しらけながらも支持をぐずぐずと続けていくのは日本沈没を不可避にしていく以外のなにものでもない。

「教育」について内田樹さんが吠えている?

大学の法人化の弊害が次々と襲いかかってきている。その遠因の考察で説得力あるのが内田樹さんの次の記事だ。一部引用しておくと、

「マーケット」とか「ニーズ」とか「費用対効果」とか「組織マネジメント」とか「工程管理」とか「PDCAサイクルを回す」とかいう経営工学的な用語が教育についての論に繰り返し登場するようになったのは、90年代の半ばからである。歴史的に言えば、91年の「大学設置基準の大綱化」が起点となった。
 もう30年も前の教育行政の転換のことだから、若い人は何のことだか分からないだろう。まずそこから説明を始める。
「大綱化」というのは要するに「大枠だけ決めておくから、細かいところは、それぞれの大学で勝手にやってください」ということである。それがどうして「一大転換」であるかと言うと、それまで文部省は大学について、校地面積や教員数や教育プログラムについて、「箸の上げ下ろし」まで小うるさく規定していたからである。これは「護送船団方式」と呼ばれた。文部省が「戦艦隊」で、それに守られて、非武装の船舶である大学がしずしずと航海する・・・というイメージである。護送されている船舶には航路を選択したり、速度を変えたりする自由はないが、撃沈されるリスクは減ずる。
 それが変わった。戦艦がもう護送任務を行わないと宣言したのである。「これからは各自で好きな航路で進んでくれ」と告げて、船団を離れたのである。これから大学はそれぞれで教育プログラムを自由に決めてよい。もううるさい口出しはしない。その代わり、その個性的な教育プログラムが評価されず、志願者が激減して、大学が潰れても文部省は与り知らない、と。というこの方針もその後なし崩し的に転換されて、今の文科省(2001年から名前が変わった)が「口は出すが、責任は取らない」という「ないほうがまし」な省庁に劣化したことはご案内の通りであるが、それでも91年に最初の転換点があったという歴史的事実に変わりはない。
 どうして文部省がそのような劇的転換を図ったかというと、18歳人口の減少が始まったからである。大学数と大学定員は18歳人口の増大と進学率の上昇を追い風に増大し続けた。しかし、少子化でその勢いが止まった。市場がシュリンクすれば会社は倒産する。明治以来、教育行政の本務は「国民の就学機会を最大化する」ことであった学校数を増やしていれば誰からも文句が出なかった。それが「学校を減らす」という前代未聞のタスクを負託された。「増やす理屈」は熟知しているけれど、「減らす理屈」を文部官僚は知らなかった。困り果てた文部省がすがりついたのが「市場に丸投げ=自己責任論」であった

 

全文は内田さんのブログでどうぞ。

blog.tatsuru.com

フランス語句会から

遅れてしまいましたが、先月のフランス語句会から

 

大寒や 体白々 頬は紅

Grand froid 

Mon corps en devient tout blanc

Ma joue rougit.                        Akané

 

こころ急き ワイパー速し 冬の雨

Plus vite, plus vite !

L'essuie-glace s'accélère

Pluie d'hiver.                             Shinji

 

雪礫 当てっこ楽し エトランジェ

Des étrangers

se jettent des boules de neige

joieusement.                             Miguchi

 

冬の蝿 用の済むまで 睨み合い

Une mouche d'hiver

Nous nous regardons fixement

Jusqu'à la fin de mon affaire.      Cercle fleuri

 

雪の庭 縦横斜め 獣跡

Dans le jardin couvert de neige

Des bêtes ont laissé des empreintes des pas

en long, en large et en travers.        Yoshiwo

 

A Chirakawa-go

En traversant le pon suspendu

On voit des hidjabs colorer diversment

Des flocons de neige.

 

A Isé

Restez pour toujours à Isé

Douces brises et lumières éblouissantes

Le jour de l'an.

中村睦男先生ありがとうございました

f:id:septentrional:20200226111930j:plain

2020年札幌日仏協会総会/懇親会 退任される中村睦男会長と

お疲れ様でした。13年間札幌日仏協会会長を務めていただきました。平穏時であれば問題のない役職かもしれませんが、札幌アリアンス・フランセーズの維持が大変になった時期でしたので何かと心労をお掛けしたのではと、改めて感謝。

f:id:septentrional:20200102110824j:plain

五十鈴川を渡って内宮へ

越前から来るとさすがに伊勢は眩しく暖かい。正月二日はお伊勢参りで旅の仕上げだ。外宮にお参りしてから大した渋滞もなく内宮へ。午前中だったこともありひしめき合うほどの混み具合ではなかった。古希を迎える年でもあり「お蔭参り」の趣が無きにしも非ずというところか。

f:id:septentrional:20200102122208j:plain

赤福本店

おかげ横丁はさすがの人出だった。町の雰囲気もレトロを通り越して、レアルな空間として活き活きとしている。衰えを知らない「お伊勢さま」人気に思いを馳せる。

f:id:septentrional:20200101093316j:plain

雪吊りだけが、、、

f:id:septentrional:20200101095420j:plain

金沢城址公園

雪吊りに支えられた松の枝に雪が積もっていることを期待していたがむなしかった。城址公園の城の遺構は修復が終わって?漆喰の白も鮮やかで銀色がかった屋根瓦の輝きと相まって印象的だった。いつきても好きになる町だ。

f:id:septentrional:20200101141504j:plain

永平寺山門脇

那谷寺という奇岩怪石の寺を見物してから永平寺へと向かう。午後のせいか初詣客もそれほどではなく、静かに参道を山門まで向かう。正月は構内の諸堂へは入れない。越前の風土をなんとか実感しようと五感を澄ませてみたがどうなることやら、、、