ブログ トドの昼寝

札幌爺のたわごと

荻野アンナ『えろたま』読了

東京スポーツ新聞(東スポ)に「いろ艶筆」として連載した記事(2008年4月〜2010年10月)を加筆し再構成した『えろたま』(中央公論新社、2013年4月)を読了した。延々と続く下ネタ記事にさすがに一気とは行かなかったが、気づかされることも多くあった。二つ挙げておこう。一つは小林多喜二の『蟹工船』について。(同書、pp78,79)

 

  睾丸が勃起

 この欄で「饅頭」と書いて、素直に受け取る読者はいないはず。

 小説から引用する。

 (「おい饅頭、饅頭!」

  ずウと隅の方から誰か大声で叫んだ。)

 呼ばれた菓子売りの女は、何個ですか、と聞く。客の男は「二つもあったら不具べ よ」と答えて、その場の全員が大笑いする。

 菓子の饅頭は形状が女性器に似ている、といった無粋な解説はよす。そこで質問だ。先ほどの引用の作者は、以下の誰か。

 ①永井荷風 ②荻野アンナ ③谷崎潤一郎

 文体が古風だから、②はあり得ない。①か③、どちらかな?

 実はどちらでもない、と分かる人は、小林多喜二の『蟹工船』をすでに読んでいる。

 昭和初期の過酷な労働を描いたこの作品、昨今の不況と重なるらしく、改めてベストセラーになった。つられて読んでみると面白い。

 「饅頭」がエロ小説の一節なら当たり前だが、大マジメなプロレタリアート文学だから、落差が新鮮なのだ。

 海の上で、漁夫たちは数ヶ月女なしで過ごす。昼は死ぬほどの労働でも、夜は「倅が立って」眠れない。

 (「どうしたら、えゝんだ!」ー終いに、そう云って、勃起している睾丸を握りながら、裸で起き上がってきた。)

 睾丸が勃起?

 実は原文では「睾丸」に「きんたま」とルビが振ってある。

 「倅」のことも「きんたま」と呼ぶ知人(♂)がいたおかげで、私は誤読をせずに済んだ。

   (中略)

 小説に話を戻す。「夢精」も「自涜」も同性愛も、手鼻をかむのと同じで、「糞壺」のような船底の、日常の一部なのだ。

 搾取する側がお上品かというと、酒池肉林のあげく「嘔吐」を吐く。階級闘争を超えた、等身大のアワレを感じさせるところが名作だ。

 

目の付け所がいい。「等身大のアワレ」こそ文学の目指すところではないか。そのほか目についた箇所は、「子宮は暴れる」の瀬戸内寂聴だ。(pp. 92,93)

 

 作品に順位など付けるものではない。だが、あえてダントツ一位、と断言したくなる名文がこれだ。

 「出産のあと、私はセックスの快感がどういうものか識った。それは粘膜の感応などの生ぬるいものではなく、子宮という内蔵を震わせ、子宮そのものが押さえきれないうめき声をもらす激甚な感覚であった。」

 瀬戸内寂聴氏の『花芯』。書かれた1958年に私は2歳だった。 

(中略)

 実は、西洋には子宮動物説というのがあって、プラトンにまでさかのぼる。

 彼の『ティマイオス』によると、男の性器も動物だが、女性器はもっとひどく暴れまわる。(中略)

 プラトンの子宮は男の妄想、と勝手に決めつけていたが、寂聴氏の読後、考えを改める気になった。

 

もちろんラブレー研究からの余滴もたくさんある。クレマン・マロ(荻野氏「マロ」としか表記していないが、「クレマン」でも遊んで欲しかった。それとも読者に検索させてのけ反らせたかったのか。)の「美乳賛歌」と「醜乳惨歌」を取り上げて「エロ文学」(pp.136,137)の授業を紹介している。これは16世紀当時大流行したらしいので彼女の翻訳を引用しておこう。

 

  卵よりも白い美乳 サテンのピカピカ乳 バラも顔負けの 空前絶後美麗乳 

  プリプリ固くて 小さな象牙の球のよう

 

  中身がカラの皮の乳 ペチャ乳、ゴワゴワ乳 だらりん乳 乳というよりズタ袋

  その先っぽは黒乳首 漏斗の先端みたいだね

 

私も論文で取り上げたが、さすが荻野アンナ氏の訳。つぎはこれを使うとしよう。