ブログ トドの昼寝

札幌爺のたわごと

プーチンの戦争

プーチンウクライナ侵攻で寝覚めの良くない日が続いている。朝早く目が覚めたので、講談社版の五木寛之エッセイ全集第三巻を開いた。半世紀前ソ連邦が未来の希望の地位から転げ落ち始めるころ五木はこう言っている。

  昨年、沖縄に旅行した時、沖縄本島の人びとが、日本本土に対して強い
 対立意識とコンプレックスを持ち、そしてそれと同じくらいに宮古島、そ
 の他の島々に対して一種の優越感を持っていることに痛ましい思いをした
 ことがあった。
  ソ連における、白ロシアウクライナグルジア等の各地に対する感じ
 方も似たようなものがあるようだ。これは一種のラッキョの皮をむくよう
 な中華思想の変形なのだが、、、

プーチンウクライナに対する感情は、おそらく勝手に可愛く思っていた弟が不埒にも兄の愛を裏切る形で絶縁を告げてきたことに対する激怒なのだ。ジョージアグルジア)も含めたこれまで差別してきた同系で臣従すべき者たちが離反することは、激烈なヘイト感情を呼び起こしたに違いない。前回のクリミア統合で一敗地に塗れることになったマニウポリへの容赦ない攻撃を見ても、プーチンは日本のヤクザの親分と同じ精神構造に囚われている。裏切り者に対する徹底した攻撃、敵に対する容赦のなさ。身内に対する微笑みながらの忠誠要求。そしてロシア連邦国民も強い親分を受容している。

 それにしても五木寛之を含めた60年代後半の世界を実際に見て認識の地平を広げようとした日本の若者たちの熱さはどこに行ったのだろう。とくに男子の内向きぶりは目を覆いたくなる。マザコン傾向もあるだろうが、KYなどと言いながら大勢順応をとことん仕込まれる教育もひどいような気がしてならない。