ブログ トドの昼寝

札幌爺のたわごと

昔の北海道のイチゴ売り/深沢七郎より

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 深沢七郎が『いのちのともしび』(昭和38年)でこう書いている。

 六月の末頃、札幌の街はいちごの出盛りである。旅路の果、私は札幌で、このいちごを見て<アレッ!>と目を見はった。東京では、いちごは小箱に並べてつめて売っているのだが、ここでは八百屋の店先に山のように盛り上げて、土いじりのスコップですくって、投げるように新聞紙の袋に入れて売っているのだ。出はじめは100グラム五〇円ぐらいだそうだが、今、出盛りで一キロ四十円なのだ。

 写真は小樽商科大学で英語を教えたスミス(Wallace Smith)先生が撮ったものだが、赴任が昭和38年なので深沢七郎と同じ頃だと言える。小樽の八百屋あるいは青果店だが、高くてキロ20円ということは、おそらく地物の最後あたり6月から7月ではないかと推測される。このあとイチゴのうまさをめぐっての感慨が綴られていくのだが、『風流夢譚』での嶋中事件後放浪を余儀なくされた深沢にとって北海道は「これも俺の命の」ものが次々と見出される地であったようだ。「来年もいちごの頃にはここに来よう」という科白が印象的だ。ちなみにスミス先生は四年ほどの小樽滞在ののち東京に戻り、東洋英和女学院などで英語を教え続け東京で没している。