ブログ トドの昼寝

札幌爺のたわごと

「バベットの晩餐会」とアメリカ大統領選

 アメリカ大統領選挙を見ていて、ふとガブリル・アクセルの映画「バベットの晩餐会」を思い出した。フランス料理というかレストランが生まれてきた背景にフランス革命があるとか、ジェンダー的偏向としての「女料理人」とかはさておいて、映画の舞台に思い至ったからだろう。デンマークのとある半島の寒村なのだが、住人は老人ばかり。なぜか?彼らは敬虔なプロテスタントで結束は固い(実はお互いを常に窺っているのだが)。なんのことはない、プロテスタントのあるセクトの村なのだ。かつての美人姉妹がセクトを起こした父の位牌を固く守って信者たちと信仰生活を維持しているという具合だ。当然若者たちは村を出て行く。そんな村に身元不詳の中年女が流れ着き、老姉妹のもとに身をよせる。宝くじが当たった女は賞金で村の全員にフレンチのフルコースを極上のワインをマリアージュさせて振る舞うことにする。そしてその晩餐は村人たちにとって至上にして最後?のものとなる。そして女は村を去る。
 ここで注目したいのは、プロテスタントセクト共同体の意識だ。共同体の外部は悪魔の誘惑に満ちた世界であり、行ってはならぬ敵の地である。アメリカに渡ったピューリタンたちの心性もほぼ同じであろう。アメリカという新天地で自分たちだけの共同体を築く、新大陸はそれを可能にする処女地であった。だが、そのアメリカはやがて奴隷として移住させられたブラックアフリカンと19世紀末からのヨーロッパの近代化で大量に発生した貧困層や飢饉に襲われた貧農たちの大量の移民によって揺さぶられることになる(最後にはヒスパニック系)。つまり、福音に信仰の基盤をおくプロテスタント共同体(イングランド移民)というアメリカの基底部を見ないと、トランプの健闘ぶりは説明がつかないように思われる。グローバリズムの果実をこの映画のように味わうこともなく、見捨てられたと感じるホワイトアメリカンの最後の抵抗としても見ることができるのではないだろうか。

 それにしてもトランプの悪あがきは、一夜の夢の後始末もできない、無様としか言いようがないのだが、これ以上の愚行は犯さないで欲しい。