ブログ トドの昼寝

札幌爺のたわごと

慧眼!!

全巻読破を目指していて、やや息切れしてしまった講談社五木寛之小説全集だが、ようやくゴールが見えてきた。後半は、断筆を経て、ある意味同じ系列の再開、再構築といった感を抱くのだが、陰影の深さが増して小説世界の広がりが増しているとともに、たおやかさが出てきているのがいい。

さて第三十三巻は『燃える秋』と『風花のひと』で京都と金沢という古都シリーズだが後者で見つけた、懐かしい光景と慧眼に恐れ入る発言を引用しておこう。

p.160

 「雄ちゃん、漫画本なんか読んでるんやったら、電話ぐらい出てくれてもいいやろに」

 「ぼくはいま忙しいの」

 大学生の雄二は、茶の間に寝転んで<少年マガジン>を読みふけっていた。

昭和五十四年「小説現代」の一月号から五月号まで連載されたものだが、私はようやく職を得て小樽に前年十月に来て最初の冬であり、その寒さと雪のすさまじさに衝撃を受けていた。この五木の連載を読みながら、同時に大型の石油ストーブのそばでマンガ雑誌を「読みふけっていた」ことを思いだした。

次は、

p.221

 「世界経済の基礎は、奴隷の売買からはじまっています。その事実は否定できません。そして現在の国際経済は武器の売買が土台となっているのです。さらに経済の世界政治支配が進んでくれば、金や資本そのものが武器や兵器になるのです。アラブ諸国がオイルを兵器がわりに欧米に戦争をしかけたのと同じように」

さいとう・たかおの「ゴルゴ13」を彷彿とさせるセリフだが、後半部は今の金融資本のグルーバリゼーションを言い当てて妙である。バブルを起こせるところであっという間に最大化させ、次の獲物を狙って動き回るのだが、バブルの後始末は当該国民・国家におっかぶせて知らん顔。かくして格差は開き分断がいたるところに生じていく。

夏・秋のフランス語句会

f:id:septentrional:20211122105746p:plain

俳句というと季語を立てなければなりません。俳諧となると「諧謔」の語にも見られるように自由度が大きくなります。かつて土屋文明がパリを訪れハイカイスト達と交流を持った際、通訳にあたった松尾邦之助との間で季語をめぐって論争が起きました。邦之助は概略、フランス人に理解できない「季語」を後生大事にしていては、日本の短詩形の精神は世界に通じなくなるから引っ込めようと主張しました。会員のMotti から次のような提案がありましたので、多少ジジ臭いかとは思いますが、本会の会(諧)是として採用してはいかがと提案する次第です。

俳諧自由・徘徊自由

Ji-Ji Haïkaï(爺俳諧・爺徘徊・時事俳諧

俳諧」とは、もともと「滑稽・可笑し味・戯れ」を意味し、連句・発句・俳文などの俳諧味を持つ詩文の総称である。正岡子規は発句を「俳句」と名付け、有季定型を原則としながらも、或る句はシリアスに、或る句は俳諧味を持たせ、自由闊達・融通無碍に詠った。然るに昨今は、「時事」や「孫」をお題にしただけで馬鹿にし、新たな語彙・表現を活用すると「誰それの二番煎じ」と嘲罵するなど、視野狭窄・強直固縮に陥っている。あらゆる民族で詩を詠う文化があり、近年では最も短い詩として俳句が注目され、Haiku(Haïku)・ハイクとして盛んになって来ている。古典落語でも枕に旬の話題を盛り込むのが通例である。囲碁・将棋にもAI(人工知能)が取り入れられている御時世であるからには、アンテナを広げ旬(時事)の話題を受け止め、徘徊しながらも、脳トレのため俳句・川柳・短歌などの短詩に詠み込み楽しむ、これら一連のことを「Ji-Ji Haïkaï」と名付けたい。

 

では10月2日の投稿句から選抜して、あいうえお順に(だいたいです)紹介していきましょう。

1)雨ながら中秋祝う" ペーパームーン "

 Malgré la pluie, / on fête le mi-automne / avec  l’air de Paper Moon.

2)烏賊飯は非常食なり野分だつ

Une tempête d’automne / Des calmars farcis de riz,  / vivres de réserve.

3)空蝉や運転免許返納す

Une coquille de cigale-J’ai rendu mon permis de conduire.

4)運動会小さなマスク行進す

La fête sportive / Tous les écoliers marchent / Avec un petit masque.

(La fête sportive de l’école, / les petits masques marchent.)

5)霧晴れて遠きビル群レゴのごと

La brume s'est dissipée / Une rangée d'immeubles lointaine / paraît une ville de "LEGO ".

6)コスモスと目礼交わす今朝もまた

Ce matin aussi, / j’échange un salut de regard / avec des cosmos.

7)秋刀魚焼く 失恋話の 佳境かな

Quelqu’un grille des sammas, / on est à l’apogée des hisotoires / d’amour déçu.

8)倍返し歌舞伎役者の顔相撲

Rendez-y double ! / Voilà le sumô de face à face des deux vedettes / au théâtre de Kabuki.

9)薔薇色の人生今や枯葉色

La vie était en rose. / Elle est maintenant / en feuilles mortes.

10)ホットウイスキー天使の分け前とるべからず

Un whisky chaud. / Il ne faut pas voler / la part d’ange.

11)ボールトス色なき風に乱れけり

Une balle passée, / le vent d’automne l’a troublée / invisiblement.

12)毬栗や犬の歩けぬ散歩道       

Beaucoup de bogues / empêchent les chiens / de se promener.

 

 

偶然の一致とは思えない、、、

外出自粛でテレビを見る時間が増えているが、8月30日のNHKBSプレミアムの番組で面白い符合(もちろん個人的にだが)を見つけたので、書きとめておきたい。午後1時からのBS映画劇場の『クリムゾン・タイド』と午後5時半からの『映像の世紀プレミアム選4―英雄たちの栄光と悲劇』中のキューバ危機のケネディー大統領である。

符合その1)老練だが歴戦の勇士の軍人と勇気ある若者との衝突

前者では原子力潜水艦ジーン・ハックマン)と副官(デンゼル・ワシントン)、後者ではカーティス・ルメイケネディー大統領である。いずれも核攻撃をめぐる葛藤が描かれている。

符合その2)若者の理性的判断が核戦争を止める。

時代的にはクリムゾン・タイドのほうが新しく、ソ連崩壊で起きた反乱軍による核攻撃の危険性がドラマ展開のきっかけとなっている。この時期まで、潜水艦発射のICBMは手続きは厳重だが艦長がトリガーを引けるようになっていた。無線の故障で原潜と司令部との交信が不可能になるというプロットはいただけないが、二人の名優の演技力でミサイル発射をめぐる確執は緊迫の度合いをいや増しにしていく。もちろんほろ苦いハッピーエンドにはなるのだが、最終シーンはハワイのパールハーバーだ。

ケネディを追い詰めるのはあのカーティス・ルメイである。

f:id:septentrional:20210901112013j:plain

「皆殺しの」ルメイは太平洋戦争末期日本を焦土と化した無差別焼夷弾爆撃の立案と実行を命じた空軍軍人であるが、マッカーサーに対抗意識を燃やしたことでも有名である。彼は年齢からしマッカーサー退役後も空軍を握り、キューバ危機ではソ連に対する核戦略空爆を準備して若い大統領に迫る「大統領、あなたは絶体絶命ですよ」そしてケネディーが返した言葉が「空軍大将、あなたも絶体絶命ですよ」だった。大統領権限が最高のものであることを知らしめ、フルシチョフとのぎりぎりの交渉で譲歩を勝ち取ることになった。

 この二つの番組が並ぶことになった背後に、NHKの番組編成担当の仕掛けがあったのかどうかは分からないが、面白い符合として記しておこう。

 

オランジーナの起源

オランジーナの起源は?

フランスの国民的飲料だった orangina サントリー傘下に入り Orangina France そしてSuntory Beverage & Food France となったようだ。あまり起源については気にしたことがなかったが、佐藤賢一の『最終飛行』を読んでいて次の一節に出くわしたて、はたと膝を打った。舞台はコルシカである。

  ......人差し指を立ててギャルソンを呼んでいた。お飲み物は。オランジーナでいいですか。ええ、アルジェリアで大売れした飲み物です。サルディーニャやコルスにも出回るようになって。そうですか。「じゃあ、オランジーナを三つ」

  つまり、フランス系アルジェリア人、 Leon Beton(レオン・ブトン?)が1936年にアルジェリアで発売したのがはじまりだったのだ。その後アルジェリア独立で1962年にフランスに移転。フランスの国民的飲料となったが、2009年にサントリーが買収して今日に。

<iframe width="640" height="360" src="https://www.youtube.com/embed/ygWI302o8SE" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>

 

昔の北海道のイチゴ売り/深沢七郎より

f:id:septentrional:20210524130205j:plain

 深沢七郎が『いのちのともしび』(昭和38年)でこう書いている。

 六月の末頃、札幌の街はいちごの出盛りである。旅路の果、私は札幌で、このいちごを見て<アレッ!>と目を見はった。東京では、いちごは小箱に並べてつめて売っているのだが、ここでは八百屋の店先に山のように盛り上げて、土いじりのスコップですくって、投げるように新聞紙の袋に入れて売っているのだ。出はじめは100グラム五〇円ぐらいだそうだが、今、出盛りで一キロ四十円なのだ。

 写真は小樽商科大学で英語を教えたスミス(Wallace Smith)先生が撮ったものだが、赴任が昭和38年なので深沢七郎と同じ頃だと言える。小樽の八百屋あるいは青果店だが、高くてキロ20円ということは、おそらく地物の最後あたり6月から7月ではないかと推測される。このあとイチゴのうまさをめぐっての感慨が綴られていくのだが、『風流夢譚』での嶋中事件後放浪を余儀なくされた深沢にとって北海道は「これも俺の命の」ものが次々と見出される地であったようだ。「来年もいちごの頃にはここに来よう」という科白が印象的だ。ちなみにスミス先生は四年ほどの小樽滞在ののち東京に戻り、東洋英和女学院などで英語を教え続け東京で没している。

冬のネット句会から

  冬のネット句会から
 
  一人一句
 
     旅行運 凶と出るなり 初神
 
     Dans mon premier oracle écrit
     Le voyage était marqué
     Très mauvais.
                                                 <S>
 
    凍れ夜に 米研ぐ媼 背の丸き
 
     Une nuit glaciale
     Une vieille femme lave du riz
     Le dos arrondi.
                                               <T>
 
   しばれるや オノマトペ響く 帰り道
 
     Ça caille 
     Une onomatopée résonne
     Chemin du retour.
                                            <MG>
 
   神坐(ま)せる カナダロッキー 初明り
 
     Dieu est là
     Les Rocheuses canadiennes
     À la première aurore de l’an.
                                              <M>
 
   コロナ禍の 終息願う 七日粥
 
     De la bouillie 
     Avec les sept herbes printanières 
     Pour la fin du Covid-19.
                                              <H>

           f:id:septentrional:20210524130254j:plain

   雪原に 浮かぶ岩塊 修道院モン・サン・ミシェル
      Sur les champs de neige
     Flotte un grand roc
     Mont-Saint-Michel                                                                  
                                              <O>

 

 

半藤一利逝く

 文春の時代を画した編集長にして『日本のいちばん長い日』、『昭和史』の著者半藤一利が鬼籍に入った。保坂正康と二人で昭和の暗部を暴こうとしつづけた良心の一人が消えた。それにしても僕らが大学生活を始めたころには「保守半藤(反動)」とあだ名されて罵倒されていた人間が、いつしか安倍長期政権下で憲法解釈改憲がごり押しされ憲法に実質的に引導を渡すという右シフトをやってからは、彼が左に位置してしまうという不思議なねじれ現象が起きてしまった。彼の言葉で記憶に残っているのは「日本人は激しい攘夷主義に陥りやすい」というのがある。「事なかれ主義」で不都合なことは起こらないかのように振舞うのだが、事態が煮詰まってくると突然「異世界」にすべてをおっかぶせて徹底的に攻撃し始めるのだ。これは正鵠をついている日本人論だと思う。それにしても昭和史が教えられない教育は怖ろしい。

 これに齋藤環の『ヤンキー化する日本』を繋げば現在の日本人の姿が見えてくるのではないかと思っている。今の日本人が無意識に待っているのは大盤振る舞いの「大黒様」の降臨だが、安倍政権は大盤振る舞いのポーズだけはとったのだが大黒とはなりえなかった。だとすれば、地域社会での大黒もどきヤンキーが登場してきたときどうなるのか、これは弥生以来日本人の自然なものとなった生き方が絡むので、知的批判ではどうしようもないと思っている。

 「護憲」よりも「育憲」とも言っていたことも思い出される。守りは突破されれば後はない、攻めの戦略が必要だったのだ。知人に安倍政権の解釈改憲集団的自衛権容認の日を「日本国憲法」の死んだ日として、月命日に弔いを欠かさないのがいる。